地元の人がこっそり案内
生のやまがた体験

【企画ノート】寒中紅花染めから考える地域資源の価値の再定義
2026/02/26

【企画ノート】寒中紅花染めから考える地域資源の価値の再定義

価値とはなんだろう。

鈴木誠人(DMC天童温泉)

「紅花は、江戸時代の当時、米よりも金よりも価値があった」

僕が紅花という存在を知ったのは、山形に移住してからだった。この仕事をするようになって初めて、山形の県の花が紅花であること、そして紅花がこの土地の文化や経済を形づくってきたことを知った。けれど、その事実を知っている人は決して多くない。山形県の人でさえ、紅花について語れる人は少ない。

山形と聞いて多くの人が思い浮かべるのは「さくらんぼ」だろう。それは間違いではないし、実際に山形の果樹文化は誇るべきものだ。2025年時点で、さくらんぼをはじめとした山形の果樹は、栽培開始から150周年を迎えた。

では、それ以前、この土地には何があったのだろうか。その答えのひとつが「紅花」だ。山形の紅花栽培は江戸時代に最盛期を迎え、日本の色文化を支える重要な役割を担っていた。

しかし現在、紅花はその歴史的な重みとは裏腹に、県内において1,500円前後のハンカチ染め体験として扱われることが多い。(近年は少しずつ、10,000円近いスカーフ染めも増えてきている。)短時間でハンカチを染め、旅の思い出として持ち帰る。その形が紅花に触れる入口となってきたことは確かであり、まったく否定する意図はない。

ただ、それだけでは紅花本来の価値や魅力が伝わりづらいのも事実だ。染める工程だけが切り取られ、背景にある思想や手間、時間の重みが十分に伝わらないまま、「手軽で安価な体験素材」として消費されてきた側面もあるのではないだろうか。

僕たちが実施している「寒中紅花染め」は、ひとり28,000円の参加費となっている。決して安い金額ではない。では、なぜそのような金額設定にしているのか。結論から申し上げると、「価値の再定義」である。

紅花染めは、本来きわめて非効率で、自然条件に大きく左右される行為だ。とりわけ寒中に行う染めは、低い気温と水温のなかで素材の状態を見極め、わずかな色の変化に向き合いながら進められる過酷な作業である。そこには、再現性やスピードを重視する現代的なものづくりとは対極にある、職人の経験と判断、そして自然と共にある姿勢が凝縮されている。

「染める」という行為だけでなく、紅花の栽培から見ていくと、途方もない労力が必要とされる。7月の紅花が咲く頃、花を摘み、洗い、発酵させ、タイミングを見計らって紅餅に加工する。ここまででも、いくつもの工程を経ている。そして、紅餅だけでは染めることはできない。アルカリ性の液体と酸性の液体が必要だ。

今回の体験では事前に、藁灰からアルカリの液体をつくり、烏梅から酸性の液体をつくる。どちらも天然素材である。現代においては、天然のものを使わずとも同様の液体をつくることはできる。しかも、より安価に。

それでもなお、天然素材にこだわり、寒い時期の紅花染めにこだわっている。なぜか。

この企画で参加者が染めるのは、単なる布ではない。紅花が山形で育まれてきた歴史、自然と人との関係性、そして、なぜここまでしてこの色の原料を残そうとしてきたのかという思想そのものに触れる体験だからだ。

完成した染め物は、その理解と時間を共有した証として存在する。28,000円という価格は、体験時間や材料費を積み上げた結果ではなく、職人が長年かけて培ってきた判断基準や試行錯誤の蓄積、自然条件と向き合い続けてきた覚悟に対する対価である。

同じ工程を辿っても、同じ色が生まれることは保証されない。染まった色も、やがて移ろい、変化をし続ける。その不確かさこそが紅花染めの本質であり、参加者自身が自然と向き合い、選び、受け取る体験となる。

寒中紅花染めを通して僕たちがやりたいのは、紅花を「きれいな色が出る素材」や「工芸体験」という枠に閉じ込めることではない。効率や即時性が重視される現代社会のなかで、時間をかけ、手間を惜しまず、自然と向き合い続けてきた行為そのものを、価値として提示することだ。地域資源の価値は、どれだけ安く提供できるか、どれだけ分かりやすく消費できるかで決まるもの“だけ”ではない。本来は、その土地が何を大切にしてきたのか、どんな問いを内包しているのかによって決まる。

寒中紅花染めを28,000円で提供することは、高く売るための戦略ではない。これまで見えにくくなっていた価値を、本来あるべき重さと文脈の中に戻すための試みである。紅花という地域資源を通して、僕たちは問いかけている。価値とは、価格の話なのか。それとも、引き受ける覚悟の話なのか。寒中紅花染めは、地域資源の価値を再定義するための実践であり、その問いを体験としてゲストに手渡すための場である。

おそらく、他の地域でも同様のことが起こっているのではないだろうか。地域資源の価値は、特別なものの中にだけ眠っているわけではない。むしろ、効率化されず、広がらず、説明しにくいまま続けられてきた営みの中にこそ、その土地にしかない問いが宿っている。

何を新しく足すかではなく、何を引き受け続けてきたのかに目を向けること。その意味を言葉にし、価格として示すこと。寒中紅花染めは、そうした価値の見つけ方を実践するひとつの試みであり、この考え方は、地域や資源が変わっても応用できるはずだ。

大量生産・大量消費ではなく、少量多品種かつニッチなものが選ばれる時代になってきた。だからこそ万人には受けないが、刺さる人には深く刺さる。そんな地域の宝が、いよいよ改めて注目されていくのではないだろうか。

寒中紅花染めツアーのページはこちら